新郎のスレシュさん。イケメンである。日本語も達者。「ネパール・カゼ・トラベル」のアイドルである。
 
11,24(木)晴れ
スレシュさん結婚式 第一幕 彼女宅での儀式
 
スレシュさんの家に行くと、結婚式らしくそわそわと浮ついた雰囲気である。ひっきりなしに人の出入りがあり、親戚や友人が忙しく働いている。スレシュさんはズボンにアイロンをかけ、ヒンズーの帽子「トピ」が小さいといって急遽買いに行ったりしている。我々は他の日本人出席者二名と一緒にチャイをすすり、ゆで卵と揚げ菓子をかじりながら準備が調うのを待つ。
ひとりはSさんで、ちゃきちゃきして面白い人である。風の旅行社のお客さんでスレシュさんの「追っかけ」のような人。
もうひとりはWさんというおじいちゃん。京都のお寺の住職でネパールと仏教、ヒンズー教に対する造詣は並々ならぬものがある。Wさんに宗教についての講釈をいただいているうちにスレシュさんがバタバタと戻ってくる。九時半には出発すると言っていたのに、時計はすでにその時間を回っており、しかもスレシュさんはいまだスウェットにトレーナーである。
「まあほら、ネパール時間ですから」
しかし結婚式の日時はお坊さんの占いでかっちりと決められているらしい。今日の儀式は十時から十時二十五分までに始めないといけないそうだ。  
ようやくスーツに着替えて、居間で簡単な儀式がある。お母さんが新郎と参加者全員に祝福のティカを与える。ティカには薬指を使うのだそうだ。
「日本でも「薬指」というように、昔から薬を塗る指だったようですね」
とWさん。
「ちなみに親指は最も大切な指。人差し指は威張っている指。中指は一番長いけど一番役に立たない指。小指は一件不必要だけど実は重要なんですよ。小指を伸ばしていると、距離感がつかめるんです」
そう。実は柔道でも小指と薬指で相手の襟をつかむ。そうした方が力が出るのだ。
ネパールの代表的な花であるマリーゴールドの首飾りをお母さんがかける。
十時前に出発。車二台に分乗して新婦の家を目指すが、ものすごく狭い小道をくねくねと進み、先々で渋滞の原因となる。迷惑千万だが歩くわけにはいかないらしい。
新婦の家も立派な建物。三階の一室が儀式の部屋にあてがわれている。奥にスレシュさんとお坊さんが座り、様々な供物と花を飾った仏塔のようなものが置いてある。それを取り囲むように壁に沿ってイスが並べてある。
しばらくして新婦が入場。真っ赤なサリーと金の髪飾りが美しい。
ちりんちりんとお坊さんが鈴を鳴らして儀式が始まる。Wさんによるとこのお坊さんはバジュラチャリヤというネパール仏教(大乗仏教)のお坊さんらしいのだが、べつに袈裟を着ているわけでもなく、見た目はそのへんで豆でも売ってそうなおじさんなのである。普段はちゃんと仕事があり、妻帯もしている普通の人なのだが、このような祭礼の時だけ駆けつけるという。
読経とともにお香が焚かれ、米粒や聖水を振りまいたりしながら淡々と儀式が進む。新郎が立ち上がり、新婦がその前に跪いて足に額をつける儀式もあった。それは「ヒマラヤの花嫁」で平尾さんが書いているのと同じだった。どうも火と水が大きな要素らしく、このふたつを盛んに用いて儀式が進行していく。このあたりは改めてWさんに聞いてみたいと思うが、火には浄化作用があるとヒンズーでは信じられているようだ。平尾さんの本によると、インドでは水の回し飲みはしないけれど、タバコの回し飲みはするという。確かによく観察しているとネパール人もペットボトルの水を口に付けないように器用に飲んでいる。同じ理由で酒の回し飲みもしないんだろう。
カルガさんの儀式でも見たが、緑と銀色の首飾り(ドゥボというらしいが不明)を新婦が新郎にかけ、新郎は同じように首飾りを新婦につけて左手薬指に指輪をつける。拍手が起こる。
 
素焼きの盃に盛られたバフの煮込み肉が配られる。この肉を左手に移しなおして空いた盃に酒を受ける。酒はロクシーである。ナガルコットで飲んだものよりもかなり強い。40%はあるに違いない。ネワール語では「エイラ」という。東南アジアの「アラック」と同じ語源のようだ。
その後、ゆで卵とバフ肉にヨーグルトとハチミツを混ぜた液体をかけたものが配られるのだが、面白いのはそれを右手で受けるのである。これは神様に捧げた供物をいただくという意味で、だから手で受けるのだ。またヨーグルトは祝い事には欠かせないものだという。
その後、場所を移して会食に。絨毯を敷き詰めた二十畳ほどの部屋に座布団が並べられていて、そこにトレーに並べられた食事が運ばれてくる。内容は水牛のオンパレード。
肉、モツ、レバ、脳、皮、そして生肉のミンチである。それに珍しく揚げた魚とソーセージなど。このユッケのようなものは丁字がかなり入っていて臭みをとっている。なかなかおいしいが、食べている人は少なかったようだ。インド大陸でも生肉を食べるものなのかと驚いた。「ラピ」という料理で、肉の塊という意味。祝い事に出る料理らしい。
ロクシとビールが配られてに宴会の様相を呈するが、誰もそんなに酒は進まない様子。食事をしているのは新郎側の招待客だけで、たまに新婦のお父さんがご機嫌伺いに登場する。
その後、本格的な食事が運ばれてくる。押し麦のような潰して乾燥させた米はチュラといい、稲をそのまま茹でて水を捨てて煎り、押しつぶしたものだという。祝い事に供されるごちそうとのこと。これにバフのハンバーグ、カリフラワーの煮物、青菜の和え物、各種カレーなど。食べられないものは手をつける前に専用のトレーに返すようになっている。他人の食べ残しは決して食べないヒンズー社会らしい。これはカースト制度によるのもで、高カーストの人は低カーストの人と食べ物をシェアすることができない。だからインドでは鍋料理など考えられないそうだ。
さっきの水牛フルコースで満腹であるにもかかわらず、次々とおかわりが運ばれてくる。ロクシも来る。しかも新婦のお母さんが自ら注ぎに来るので、断り切れずにみんなちびりちびりと盃を空ける。またカレーの配給だ。
「いや、もうけっこう」
「ちょっとだけでも食べないか?」
「えーと……じゃあ少しだけいただきます」
まさに食べ疲れである。最後にダヒが配られる。ダヒはヨーグルトのことだ。
「ダヒが来たら最後ですよ」
隣の日本語が達者なスレシュさんの友人がほっとしたような顔をして言った。ダヒは非常に濃厚で、日本の市販のものがずいぶん水っぽく感じる。ぱらりと砂糖をまぶして食べる。
最後に新婦と新婦の父上と記念撮影。トピをいただく。
お土産の配給があって午後五時過ぎ儀式は終了した。中身はお菓子と木の実など。
車でスレシュ宅に帰り、明日の予定などを少し話して散会となる。とにかく食べ疲れた一日だった。トピを被って歩いていると非常に目立つようだ。ホテルのスタッフも私を見てニヤニヤと笑う。
 
 
 
新婦のお父さんからいただいたトピを被って、スレシュさんと記念写真。この写真で気づいたことは、「Tシャツとトピは、ぜんぜん似合わない」ということであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昨日の儀式の引出物にいただいた箱には、チョコレートなどのお菓子の他に、香辛料、ナッツ類が入っていた。木の実というのは、やはり「繁栄」の象徴なんだろうか。あと日持ちがするというのもあるんだろう。
 
11,25(金)
スレシュさん結婚式 第二幕 ボリボリになる
 
本日、司馬遼太郎対談集読了。司馬の碩学に今さらながら感心する。
面白かったのは網野善彦、桑原武夫との対談。日本の近代文化は室町時代、応仁の乱以降に完成されたという。京都が荒廃して公家が都落ちして地方に散らばり、文化の均一化が行われた。また茶道、華道、歌舞伎、能などもこの時代だ。農業生産性が向上して、百姓ひとりが養える人数が増え、能役者などの芸人が増えだしたためだと指摘する。それには鉄の生産が向上したことがあげられ、当時は刀が大量生産されて中国にも輸出されていたらしい。鉄製の農機具が普及して農業生産が上がり、文化が発達するという、その画期が室町時代なのだそうだ。
早朝にインド大使館に出かけるはずが完全に寝坊してしまう。起きたのは九時半。茶を飲んで読書などしているうちに昼が過ぎ、一時過ぎにモモ屋に出かける。帰りにネットカフェへ。ヤフーを見るが大きな事件はないらしい。世はこともなし。
ホテルの向かいの床屋で散髪をする。しかしここがとんでもないところだった。
散髪は普通にやってくれて、その後マッサージをしてくれたのだが、このあたりからふんだくってやろうという腹づもりになったらしい。雑巾を絞るように両の腕を揉んでくれて、背筋なども叩いてくれ、そのあと髭剃りをする。いいというのに頬のあたりを剃る。そのあと棚の上のヘアカラーのビンを指さして「あれをやるか?」というので、今度ははっきり「ノーサンキュー」と言ったのだが、勝手に薬を調合し始める。そして私の髪に塗り始めた。さすがにこれはぼるつもりだと思ったので、「もういい」と言って強引に立ち上がる。
「いくらだ」
と聞くと、
「200ルピーだ」
という。勝手にやったくせにである。このおやじはいけしゃあしゃあと。
「100で十分だろ」
というと、仕方ないという顔をして受け取る。100でも多かったかと後悔。ホテルに帰りヘアカラーの液体を洗い流す。ここのホテルはホットシャワーだと言っていたくせにまだ一度も出た試しがない。
五時に行ってみると、スレシュさんが家の前で野菜の行商からトマトを買っているところ。そこから歩いて新婦宅へ。それぞれの地域には必ずと言っていいほど公共の広場があり、そこはこういった祭祀に利用されるとのことで、今日もこの広場に会場がしつらえてある。本日は新婦側のパーティーらしく、新郎側からの出席者は、我々日本人を除いて極めて少ない。新婦側だけで二百人くらいにはなるだろうか。同じようにウエイターが飲み物とつまみのトレーを恭しく運んでくる。酒はロクシだけ。嫁とも話したのだがビールというのはネパールでは非常に高価な飲み物のようだ。我々の宿代がおよそ400Rなのに対してビールは大瓶一本100Rもする。贅沢である。考えてみれば昔のタイでもビールは非常に高級だった。当時(90年くらい)はシンハ一銘柄しかなかったが、宿代50Bとシンハの小瓶をバーで飲むのとが同じ値段だった。これは一般のタイ人は手が出ない金額だったろうと思う。しかし熱帯のバンコクできんきんに冷えたシンハは何物にも代え難いうまさだったのを覚えている。しかしこの寒いネパールであまりビールを飲みたいと思わないのが幸いである。
W和尚と元風の旅行社のスタッフだった通称「ドラちゃん」夫妻と歓談。ネパールに関する諸々の質問に答えてもらう。興味深かったのは「カースト=名字」という話。かつてカーストは職業でもあり、自分たちの血族集団の総称でもあったわけだ。いまは職業的な拘束はなくなった。だから名前を聞くと相手のカーストはだいたい見当がつく。仏教徒の姓も決まっていて「サキャ(スレシュさん)」「バジュラチャリヤ(新婦の姓)」「タクワ」「バイチャ」などがあるという。仏教徒でもこのようにいくつかのカーストが存在するが、ヒンズーと比べて非常に緩やかだそうだ。ネパールには60以上のカーストが存在するという。
またネパールの国家予算の40%は海外援助でその中でも日本が一番多く拠出しているという。
「日本人は丁寧で親切で、しかもお金持ち。そして戦後の復興を見て、ネパール人には憧れなんです」
とドラ氏。一時期はカトマンズ周辺だけで40近い日本語学校ができて、ちょっとした日本語ブームになっていたという。観光客の中では米国、欧州に次いで日本人が多いそうだ。
「でも残念ながらこれからは中国です」
電化製品、自動車などは五年ほど前から韓国製が増え始めている。そしてその上に中国製がさらに覆い被さる。日本製品は信用はあるがとにかく高すぎて庶民には手が出ないという。中国人観光客がこれからのターゲットになることは間違いない。
Sさんが戻ってきた。奥の厨房で散々飲まされたらしい。
「面白いですよ。見てきたら? 飲まされるけど」
嫁とふたりで覗いてみると、大鍋に大量のカレーが煮込んであり、その周辺にたむろする男たちが素焼きの盃を持ってわらわらと近づいてくる。
「ジャパニか。まあ飲め」
容赦なく三杯四杯と一気飲みが続き、あっという間に酔っぱらう。さらに飲まされてふらふらしていると「ドラちゃん」が迎えに来てくれて、ようやく脱出。食事の列に加わる。地べたに四列ほどのゴザが敷かれていて、そこに百人近い人々がズラリと並んで座り、やはり地べたに置かれた皿からカレーをつまみ上げて食ている。全員手である。スプーンはない。我々もその列に加わり、配られた沙羅の皿に盛られたチュラと配給に回ってくるカレーを右手でつまんで食べる。嫁は初めてだったが、別に抵抗はないらしい。数種類のカレーは順繰りに回ってきて断らない限りいくらでも皿に盛られる。よく見るとさっき我々にしこたま酒を飲ませた連中である。
「えへへへ」
照れ笑いをしながらごっそりとカレーを盛っていく。このチュラという食べ物は、個人的にはあまりうまいと思わないのだが。
食事が終わり、ホテルまで車で送ってもらった。結局スレシュさんは顔を出さなかった。酔っぱらってホテルでさらにビールを飲んでしまい、へべれけになって寝た。
この日覚えた有益な言葉。
「ボリボリ」=酔っぱらって足腰が立たなくなった状態
 
 
 
新婦のご親類のみなさま。この日も新婦は笑顔だったが、明日の儀式になると涙のお別れとなるのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
パレードを盛り上げる楽団のリーダー、バンマス。クラリネット(?)を鮮やかに吹き鳴らし、演奏を自在に操る。カッコイイ……。
 
11,26(土)くもり
スレシュさん結婚式 第三幕 盛大なパレード
 
水のビジネスというのがネパールでは成り立っているようだ。ナガルコットの村を歩いていると、一抱えほどもある大きなアルミ缶を背負って登ってくる村人をよく見かけたのだが、最初はきっとゲストハウスに牛乳を運んでいるのだろうと思っていた。しかしよく考えてみたら、ホテルといってもオフシーズンにそんなに大量に牛乳を使うわけはなく、だからあれはきっと飲料水だったに違いない。
ネパールでは上水道が整備されている地域はカトマンズのごく限られた地域に止まっているているようで、歩いていると街のあちこちに井戸を見かける。そこは地域の広場のようなところで、寺院とともに必ずと言っていいほど井戸が併設されていて、そこで女たちが洗濯をしたり、子供たちが水浴びをしている。家庭で使うぶんは瓶ひとつくらいだろうから家族の誰かが運べば事足りるだろうが、職業的に水が必要な人々は大変だろう。だから水を運ぶことがひとつのビジネスとして成り立ってくるのだろうと推測する。バクタプールに行くバスに乗っていると水瓶を乗せたり下ろしたりしているのを見かけたのだが、それも水を運んでいるのだろうと思う。
ナガルコットでは旅館業界で金を出しあって水道を引くことにしたそうで、ちょうどその工事の真っ最中だったのだが、しかしもしも水道が引かれたら、今まで水の運んで生計を立てていた人々から仕事を奪うことになりはしないだろうかと、一方で考えてしまった。以前、アルゼンチンに移住したおじいちゃんが言っていた印象的な話がある。
「外国に住んで商売を始めると、必ず地元の利害と対立することになる。なぜならどんな商売でも、必ずすでにそれを生業にしている人がいるからだ。外国に移住するということはその土地に住まわせてもらっているということだから、できるだけ地元の人々の利益を侵害しないように細心の注意を払わなければいけない。もしも地元の人々と対立して、ある日誰かに放火されたって、こちらは文句は言えないのだ」
外国に住むことの難しさは、こんなところにあるのかもしれない。これは日本国内でも言えることだと思う。例えば日本のどこかの田舎に移り住んだとして、地元の人々といかに仲良くしながら暮らしていくか、それが田舎暮らしの成功のカギを握ると言ってもいいのだから。
私の将来の夢は「日本を旅行する外国人バックパッカーのためのゲストハウスを造ること」なのであるが、このじいさんの話は肝に銘じるべきことだと思っている。
 
午前中は読書などをして、午後から食事がてら散歩に出かけ、そのままスレシュさんの結婚パレードを見学に行くことにする。
パタンの街はさすがに歴史が古いだけに、細い路地がうねうねと入り組んでいて、非常に散歩し甲斐のある街である。街のあちこちに広場があり、寺院があり、井戸がある。そこではおじいちゃんがひなたぼっこして、子供たちが走り回り、お母ちゃんが洗濯をしている。江戸長屋の井戸端会議というのもこんな感じだったのだろう。塀には洗濯物がズラーと干してある。サリーというのは、知らなかったのだが五メートルほどの一枚の布で、それが、こう言ってはなんだがまるでフンドシのように窓からヒラヒラとぶら下がっていたりする。非常に生活感のある街である。材木でつっかえ棒をしたものすごく古い、たぶん震度3でも危ういと思われるようなレンガ造りの建物に人が住んでいる。しかしその古い古い家の窓の木枠には緻密で素晴らしいネワール彫刻が施されている。パタンはもともと職人の街だったそうだ。金細工や仏像職人、タンカを描く仏画職人などが今でも多く暮らしているという。
二時半にスレシュさん宅に向かう。かなり前から楽団の演奏が伝わってくる。きっとあれに違いない。自宅前にはすでにマリーゴールドの花輪や薔薇の花で飾りつけられた車が止まっていて、その近くに二十人からなる楽団が予行演習をしていて、それがひどい渋滞を引き起こしている。いや、どちらかというとそれを見物している野次馬が原因のようだ。構成はクラリネットのバンマスを中心にバスドラム一名、とスネア三名、トランペット一名、その他がホルンという感じ。W和尚もいて、しばらく談笑しながら待つが、いっこうに出発する気配はない。家に入ってスレシュさんに挨拶。中庭ではイスが並べられていて、簡単な食事の準備ができている。それを食べながらさらに待つ。
四時を過ぎたあたりで野村さん登場。相変わらず元気そう。日本の知り合いの内輪話などをしているうちに準備が調った模様で、ようやくスレシュさんが下りてきた。僧侶が呼ばれていて上でなにか出発前の儀式があったらしいが、見学しそびれてしまった。
新郎が車に乗り込むとあたりは騒然となる。パレードに参加する人はおよそ100人。大変な人だかりと楽団の派手な演奏の中、新郎を乗せた車がゆっくりと動き始める。対向車は道を譲るが、その後ろからバイクが突っ込んできて身動きが取れなくなり、けたたましくクラクションを鳴らす。しかしそれも楽団の演奏でかき消される。
パレードは赤いジャケットで統一された楽団を先頭に、新郎の供物を天秤棒に担いだ付き人、新郎の母、新郎を乗せた乗用車、そしてその後を参列する来賓100名がぞろぞろと続く。そのまわりをカメラを構えた我々のような連中がパパラッチよろしく飛び回る。沿道には通行人たちが立ち止まり、その様子をおおむねにこやかに見送るが、中には顔をしかめる老人や耳を抱えて足早に通り過ぎる男もいる。写真を撮っていたら後ろから私を突き飛ばして去っていく若い男がいた。きっとパレードの遅々として進まないのにシビレを切らしたに違いない。
参列者のひとりがたまりかねたように踊り始める。すると待ってましたとばかりに数人がそれに続いて陽気に踊り始める。すると沿道の子供たちがはしゃぎ、それに加わって踊り始める。いずれも学齢前の、みすぼらし服装をした、たぶん物乞いの子供たちである。それを制してパレードから追い出そうとする人もいるが、子供たちを誘い出して一緒に踊る男性もいる。
大通りを曲がって細い路地に入ると、沿道の野次馬はさらに増え、人々の密度が濃くなり、喧噪はさらに高まる。背の高い建物に反響した演奏はボリュームをさらに上げる。腹に響くようなドラムの響きが無意識に足にリズムをとらせる。
宵闇が近づいてきて人々の顔の判別も困難な時間になってきたが、パレードは一層華やかに、熱を帯びて盛り上がる。
そんなこんなで結婚式のパレードは、街の人々に束の間の祭り気分とやかましい喧噪を振りまきながら、ゆっくりゆっくりと進んだ。
ようやく新婦の家に辿り着いたのは、完全に日が暮れた午後六時前だった。歩けば十分もかからない距離を、たっぷり一時間かけて来たわけだ。
新郎が降り立ち、それに続いて参列客もどかどかと家に上がる。家中人間だらけになる。新郎とその近縁者は専用の控え室に落ち着き、我々は新婦の儀式の間に陣取って、新婦の入場を待つ。しばらくして親戚の女性に抱きかかえられ、泣き崩れた新婦登場。前の儀式とは違うお坊さんが読経し、供物を前に火をかざしたり米や聖水を撒いたりする儀式が続く。肉魚、穀物などの食物が供えられた銀の器からすこしずつ食べ物をちぎっては口に付ける。そして素焼きの盃にロクシを注ぎ、これに口を付ける。日本の三三九度に近い儀式だ。近縁者のひとりひとりが、新婦が持参するべき嫁入り道具の品々を新婦に与え、その返礼としていくつかのナッツを与えるという儀式が延々と続く。真鍮のタライや鍋、燭台、食器、電気ヒーターなどもある。最後には新婦の母親と父親が登場すると儀式は最高潮らしく、新婦は大泣き、母親も泣きながら新婦を抱きしめる。まわりの女性ももらい泣きしている。
それが終わるとようやく新郎が登場。新婦と並んで座り、お坊さん他数人の読経とともに、新婦の母親が新郎新婦の額に火をかざしたり聖水を撒いたりする。
そんな感じで結婚式の儀式は終了した。参列者にはこの間と同じ、ナッツの詰め合わせが配られる。新郎新婦が立ち上がり車に向かう。一応これが新郎が新婦を迎えに行く儀式で、この日から新婦は新郎の家に住むことになるのだが、実際は明日は一度実家に戻るそうだ。またこの日は付き人の女性(親戚や友人)が一緒に新郎の家に泊まるらしい。まだ同衾するなということだろうか?
車に乗り込むとカルガさんの時と同じく、天井から布を垂らして外から中を伺えないようにしてしまう。楽団を先頭にパレードが賑やかに動き始める。その進行は往時よりもさらに緩慢で、それは踊っている人数が増えて収拾がつかなくなっていることによる。それでも九時過ぎにはスレシュさんの家の前に到着。長い長いパレードはようやく終わった。新郎と新婦はそのまま上がっていって、我々は中庭に用意されていたご飯とカレーで遅い夕食をとる。みんな空腹だったようで黙々と飯を頬張る。
スレシュさんが下りてきた。お祝いとねぎらいの言葉をかけ合う。本当に長い一日だった。この日も主役は新婦。やはり結婚式は花嫁が主役というのは世界共通のようだ。
 
 
 
涙涙の新婦。歩いて十分ほどの家に嫁ぐのに、この有様である。新郎の方はというと、淡々と行事を進めていく。